会社の風土が嫌になって仕事を辞めたいと思った僕の体験談

体験談

「自分の仕事を家族や友人に、胸を張って話せますか?」

こんな言葉を投げかけられた時、あなたならどのように答えますか。

 

民間企業は、国営企業や公営企業とは違い、基本的に利益を追求し続けなければなりません。

しかし、目先の売上や利益を追うと、組織の都合が優先され、顧客の反応が蔑ろにされてしまいます。

 

ただ、会社の存在意義である「利益」「社会貢献」のバランスは非常に難しく、会社の方針や風土が色濃く反映されてしまいます。

そのため、会社の方針と自分の考えが合わない場面は、多くの人が経験したことがあるのではないでしょうか?

 

「自分の仕事は、本当に人の役に立っているのだろうか……」

 

今回ご紹介するのは、そんな会社の方針や風土に悩み続けたOさん(20代後半男性)の体験談です。

【プロフィール】生傷が絶えない元気な少年だったOさん

私は今年で26歳になります。

幼少期は元気が取り柄の誰とでも気兼ねなく話す子供で、他クラスには沢山の友達がいました。

今はこうしてその取り柄を生かしサラリーマンとして働いておりますが、幼少期や学生時代は様々な怪我のエピソードがあります。

 

幼稚園時代、私は友達4、5人でお昼休みに外で遊ぶことが多く、その時にたまたま外の踊り場で腰上高さの手すりに腰をかけていました。

その時はただ友達とふざけていただけなのですが、ちょうどその時に誰かが自分を手で押したため、私は約2mほどの高さからバランスを崩し後頭部を強打、そのまますぐに病院へ搬送されました。

 

頭蓋骨は骨折していなかったものの、皮膚との間に血の塊ができてしまい。頭部を部分麻酔し、母親に抱き抱えられながら頭部を切開し、血の塊を取り出すという痛々しいことがありました。

今も後頭部はその名残で凹んでいる部分があります。

 

また、高校時代(野球部に所属)も3年生の春季大会前の練習試合で強烈なイレギュラーした打球が顔面(眉間)にあたり、眉間部が鼻先の高さまで膨れ上がったのは忘れもしない出来事です。

その結果鼻の骨が折れておりまして、病院で整形手術をすることになりました。

 

治し方がまた原始的で、鼻に麻酔を湿らせた綿を詰めまして放置します。

数十分後、鼻内部に麻酔が周ったら、鼻にペンチのようなモノを差し込んで、、、

このような要領で治しました。

なので今こうして後遺症もなく平穏無事な生活ができていることに大変感謝しながら、毎日を過ごしております。

【入社した会社】高校卒業後、企業内学校へ就職

3年間の高校時代も終わり、私は高卒で就職することにしました。

学校内成績は比較的上位でしたので、「企業内学校」に就職することになりました。

いわゆる、専門学校のようなものです。

 

その学校では、お金をいただきながら座学をはじめ専門知識を勉強します。

在籍期間は1年間で、1年のカリキュラムにはもちろん修学旅行や職場実習もあります。

 

卒業後には、各現場にて「核」となる人材になるように勉強します。

卒業後の職種は、試験・実験を行う者や、機械を直す者、業種は様々です。

他社と比べて、比較的規模が大きい会社ですので、大変重宝されます。

 

在籍している学生は他県から来ている人が多く中には遠方から就職する方もおり、スクールライフはとても興味深いものがありました。

また、家事などはもちろん自分でこなさなければなりません。

今まで、実家で甘えていた料理、洗濯、身の回りの掃除など全てです。

 

特に料理は、高卒にはなかなか大変で、食生活の偏りが酷かったです。

在籍中も自身のリーダシップでクラス長を務めておりました。

卒業時には、全学生内で2位の成績をいただきました。

【入社後の生活】学生から責任ある社会人へ成長

配属は地元から通える部署に配属されました。

私は、試作をする部署に配属されました。

そこでは文字の通り「開発するための試作」「問題があった時の試作」など試作に関わる事例全てを行っていました。

 

今まで(学生時代や、専門時代)は先生や指導員からの指示で動き、言われた通りに行動していましたが、そこの部署はそうではありません。

 

「この製品をどのように組み立てるか」

「どのように製品化するか」

「どのように問題を再現するか」

 

全て自分で考えなければなりませんでした。

 

しかし、自分で考える=自分の好きなように表現できる、などやりがいは確かにありました。

今まではそのような経験が少なかったために、その経験をする事で、プライベートでも大変役に立つことができました。

 

働き始め、また20歳を超えてくると様々な手続き、責任があります。

それは他人に決めてもらうことではなく、全て自分で解決・処理して行かなければなりません。

 

そこの部署に配属され、その部署の役割、責任を理解することが自分の人生にも大きく関わっていたと実感することができました。

また、自分の特徴である、リーダシップを生かし様々なプロジェクトにも取り組みました。

自分の意見を通す難しさ、他人の意見を尊重する大切さはとても感慨深いものがあり、自分自身をより一層高める良い機会、経験でした。

【会社に行きたくない!】利益追求の姿勢に次第にやる気がなくなっていくOさん

どれだけ自分の思うように仕事、プロジェクトが進んでも、仕事をしていく中で嫌なことは必ずあります。

また、その嫌なことを克服できなければ、そのうちに仕事に行くのが億劫になっていきます。

 

私が仕事に行きたくなくなった最大のきっかけは「会社の風土」でした。

 

その当時の「試作」は明らかに、「会社側の利益」または「試作していく上での利益」しか見ておらず「後のお客様目線」では無かったのです。

 

ただひたすらに、設計・開発部署から送られてきた図面を元に試作をし、ついには、同じような作業を毎日のようにしていました。

元々入りたての時にはあった「仕事のやりがい」が無くなってしまっていたのです。

 

自分は何のために試作へ配属されたのか、お客様目線でないこの作業にとても不満が溜まっていました。

また、当時は上司へ今の風土を変えたいという提案をする度胸もなく、いつも胸に気持ちを押し殺して作業をしていました。

 

そうしていくうちに段々と嫌になっていき、ついには今の仕事を変えようかなど転職のことまで頭をよぎるようになりました。

【その後の選択】同僚の一言をきっかけに気持ちを整理し克服

「仕事に行きたくない!」が続いたある日、職場の人が「人生のグレー」について話始めました。

私は何気なく話を聞いていましたが、後々になって思い出すととても感慨深い話をしてくれていました。

 

例えば、自分の思うようにいかない、反対意見ばかり発言する人が嫌になる、ことは多々あります。

 

そこで考えるのは、一概に「白」だけではないということ。

人生ではもちろん「黒」もあるということ。

むしろ、「黒」がいることで「白」が際立つこともあるということ。

また、「黒」が本当に黒なのかわからないこともあるし、「黒」だと思っていたことが「グレー」の時もある。

 

簡潔にまとめるとそのようなことを話してくれました。

私はその時に「風土を変えることが本当に『白』なのか」「どのように風土を変えていくか」深く考えました。

その時「上司に相談する」「他人に頼る」「自分だけで抱え込まない」ことに気づきました。

 

もちろん始めはそう簡単にことは進みません。

しかし、仲間がいることで、相談することで自分の考えてる気持ちに寄り添ってくれることが実感でき、気持ちが楽になって行きました。

そうしていくことで、徐々に「風土を変える」ことができ仕事に対する意欲も高まっていきました。

 

今では、職場のメンバーともうまく意見交流ができ、チーム全体で仕事に取り組んでいます。

結果的に、「黒」というのは自分を高めさせていくれた「黒」だったのです。

むしろ「黒」と呼ぶのではなくそれこそが「グレー」だったなのかもしれません。

 

そのグレーのおかげで自分を成長できることができ、次別の困難にぶつかった時も一度深く考えることを学ぶことができました。

大変良い機会だったと思っております。

【最後に】「会社に行きたくない!」と思っていた頃の自分に一言アドバイス

まず、始めに言えるのは「何事も自分で抱え込まないこと」これが一番です。

 

今の時代様々な企業で「コミュニケーション」の大切さが語られていますが、これは後に一人で仕事を抱え込まない、仕事の進捗を捗らせることにつながると思います。

 

人と話すのが苦手な時期も、もちろんあると思います。

それを克服するために、日頃から「話す話題」を貯めることも大切です。

自分が熱意、真剣に話す事柄があれば、人は自ずと聞き耳を立てます。

 

そうしていく上で人と人との関係性が生まれ、後に自分にとっての手助けになります。

人は一人で仕事はできません。

このことをしっかりと意識していけば、とても有意義な仕事ができ、また、プライベートもおのずと充実していくと私は思っております。

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