蕁麻疹が出て、うつ病になっても出勤した3ヵ月。私が会社を辞められなかった理由

体験談

あなたは「人間関係」で悩んだことがありますか?

 

おそらく、多くの人がこの質問に「はい」と答えるはずです。

相手は、友人であったり、先輩であったり、家族であったりと様々だと思います。

 

そして、人間関係で悩むのはプライベートや学校だけではありません。

社会人となり、会社に所属するようになっても「人間関係」の悩みは尽きません。

 

そのため、会社の上司や同僚と良好な関係性を作れず、働きづらくなって退職を決意するケースも少なくないのが現実です。

 

しかし、「人間関係が原因」で辞めたいと思って周囲に相談しても、誰もが理解を示してくれるとは限りません。

 

「どこに行っても一緒だよ」

「辞めたらどうするの?」

「自分の努力不足じゃないの?」

 

そんな言葉を投げかけられた経験がある方も、いるのではないでしょうか?

 

今回ご紹介するのは、そんな会社の人間関係と家族の理解を得られず苦しんだNさん(20代後半女性)の体験談です。

 

【プロフィール】母子家庭の長女として育ったNさん

私は母子家庭の長女として特別裕福ではないが、それなりに愛情をもらって育ちました。

妹と七つ離れているので、私が小学校一年生の頃は朝学校に行く前に0歳の妹のオムツを替えてから登校するのが日課でした。

 

母は朝から晩まで仕事だったので、

『自分がしっかりしなきゃ』

と幼いながらも思い過ごしていたのを覚えています。

 

中学高校と部活はハンドボール部に所属していました。

中学では県選抜に選ばれたりと、そこそこ成績は良かったのですが部活に専念しすぎて勉強は全く出来ませんでした。

 

二年三年の夏の大会前に練習で指を折ってしまいドクターストップが掛かっている中、テーピングをぐるぐる巻きにして出場し、お医者さんに怒られたのも、今思い返せばいい思い出であり、青春だったなと思います。

 

高校を卒業してからは、本当は大学に行き大好きなハンドボールを続けたかったのですが、母子家庭でその上長女ですから母に相談する前に自分から就職することを伝えました。

 

私は昔からお婆ちゃん子でしたのでその思いから介護士になりたいと言いました。

ですが、答えはまさかのノーでした。

 

母から言われたのは、

「介護は今のあんたじゃやっていけない。もう少し社会に揉まれなさい」

とのことでした。

 

反抗したい気持ちもありましたが、その言葉が重く響いたので素直に和菓子の工場に就職を決めました。

その頃、世間では富士山が世界遺産に登録されて、ニュースで話題になっていたのを覚えています。

【入社した会社】女社会の和菓子工場へ入社

私の入社した会社は市内に二つの工場があり、主にバームクーヘンやマフィンなどの製造をする工場で、大半が女性従業員でした。

 

その中で私は仕込みに配属されました。粉やシロップを計ったりと作る前の作業なので出勤時間は朝はやく、四時や五時でした。

隣町だったので出勤時間は車で30分程かかりました。

 

入社の決め手は至って単純で学校で人気があった企業だったからです。

【入社後の生活】社会の厳しさを痛感する日々

入社後、基本的に負けず嫌いの私は、同期と仕事の差を広げたく一生懸命に仕事をしました。

 

昔から年上の方に可愛がってもらえるので人間関係もまずまずでしたが、入社して一ヶ月経った頃、私を含めた同期全員に対し上司から、

「疲れたと口にするな」

「世間話をするな」

と叱責を受け、社会って厳しいな感じました。

 

そして、忍耐力をつける為に二週間、会社の研修で自衛隊へ行くことになりました。

とても厳しく団体責任ということで一人でも時間に遅れるとそのグループ全員で腕立て伏せをさせられ、お風呂も団体で時間は15分。ご飯も20分ほどでした。

 

実際にリュックを背負って山登りもしましたが、同期の中では脱落している人も中にはいました。

山の頂上に着きお昼ご飯を食べるのですが、非常用のご飯を缶切りで空けて食べました。

 

最終日はお疲れ様会を開いていただき、鬼だった自衛官の方の笑顔を見たときは涙が出るほどの安堵感と達成感がありました。

携帯も没収されていたので、家族の声を聞いた時はまるで戦場から帰ってきたかのような感覚だったのを覚えています。

【会社に行きたくない!】お局様との関係が最悪に……

入社して5ヶ月ほど経った頃、ある問題が起きました。

その時、私は配属された部署で同期Aと二人で仕込みを担当し、あるリーダーの下で働いていました。

 

そのリーダーは、40代後半の独身女性でした。

これまで所属の男性上司と恋愛関係があったり、リーダーという立ち位置を武器に沢山の従業員追い詰めたりと、悪い噂を耳にすることの多いリーダーでした。

 

そして、リーダーは明らかに私と同期Aとを差別して働かせるようになりました。

 

私は間違っていることをあやふやにするのが嫌いなので、おかしいと思ったら意見を言い、時には他の先輩にも相談していました。

 

しかし、同期Aはどんなことにも「はい」と答えを出し、裏ではリーダーと一緒に私の悪口を言って、気に入られるようにしていました。

 

もちろん、リーダーからしても何でもいうことを聞いてくれる子の方が扱いやすいと思います。

ですが、私は陰口を言ったり孤立させたりすることが大嫌いでした。

 

社会人になってもまだいい大人が何をしているのか・・・

そう強く思いました。

そして、まだ十代だった私は怖いもの知らずで、徐々に反抗するようになりました。

 

しばらくしてある日の朝、出勤の支度をしようと鏡を見たら顔から足まで身体中蕁麻疹ができてしまいました。

 

体調も蕁麻疹以外は特に問題はなく、きっとストレスだと思ったのでそのまま出勤しましたが、配属先が違う同期からの勧めで念の為、病院に行くことになりました。

 

その時、リーダーにも伝えましたが、

「早く病院行ってきたら?」

と喧嘩腰に言われました。

 

この時私は今まで我慢していた何かがプチッと切れ

「会社に行きたくない!」

「辞めたい!」

と強く思いました。

 

母親にリーダーのことで、悩んでいる事は前々から話をしていましたが、

「社会ってそんなもん」

の一点張りで辞める事は許してくれませんでした。

 

母子家庭で二人の子供を育てあげた母ですし、忍耐力は計り知れないのですが、私はもう心に余裕がなく何とか説得する毎日で気づけば2ヶ月間毎日泣いていました。

 

その時面倒を見てくれていた祖母には

「お願いだから笑って。笑顔見たい」

と泣かれた事だけは覚えています。

 

そう、私はいつの間にか鬱病になっていました。

 

三か月後ようやく母が同意してくれて辞める事になりました。

最終日工場長と話をしました。

 

今まであったことも全部最後に話しました。

違う配属先もと提案されましたがもう悔いは無かったです。

辞めたくて仕方なかったです。

 

話が終わり、帰る時ロッカーで荷物を持ち帰ろうとした際、後ろから、

「お疲れ様でしたは?」

と聞こえました。

 

あの苦手なリーダーがいたのです。

私は怒りをぶつけたいと思いましたが我慢し、一言だけ

「あなたのような大人にはなりたくないです」

と伝え、リーダーを無視して帰りました。

 

とてもスッキリしました。

退職した後は体調も優れ、いつもの元気を取り戻し食欲も湧きました。

 

ストレスって怖いなと感じましたが今まで反対してた母親からも

「最後に振り絞って言ってやったならいいじゃん」

と母なりに励ましてくれました。

【その後の選択】夢だった介護の道へ

今思えばあの時の行動は正しかったと思います。

そのおかげで今はあの後すぐに介護の資格を取りに行き、介護福祉士になれたので結果オーライだと思っています。

 

自分の夢が叶ったのですごく満足しています。

結婚し一昨年訳あって離婚、現在は2歳の男の子と平和な日々を過ごしています。

 

資格を取ったこともあり仕事では有利で就職先も迷う事なく、仕事の方も毎日順調でバリバリ息子と将来の為に働いています。

【最後に】「会社に行きたくない!」と思っていた頃の自分に一言アドバイス

当時「会社に行きたくない」と思った頃の自分にアドバイスするとしたら、

「辞めて正解」

と声をかけたいです。

 

実際、仕事で悩む方よりも人間関係で悩む方のほうが沢山いると思うんです。

そんな一人や二人に自分の人生壊されるくらいなら早く逃げてしまってもいいと思います。

 

心が強い人ばかりではないんです。

仕事はそこだけではないんです。

働くのは自分自身なのだから自分が決めればいいのです。

 

周りの意見は大事ですが参考の一部として聞き、そんなに自分を追い詰めても本来持っている自分のスキルが削られる一方です。

 

ですが、一つ言えるならその経験もいい経験。

人として成長できるし優しい慕われる先輩になれる。

今の自分がそうだからです。

 

大丈夫、その時辛くても今はプラスになってる事も沢山あります。

自分自身を見つめ直すタイミングが来たと思い新たなチャレンジをしてみてください。

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