みなさんは、自分の仕事に対してプライドを持っていますか?
そしてまた、プライドは必要だと思いますか?
「もちろんプライドを持って仕事をしている!」
「いやいや、プライドなんて結果さえ出せば必要ない」
「そもそも、私は仕事嫌いだし・・・」
おそらく、色々な意見や考えがあるとは思います。
確かに、強いプライドが大きな推進力となり、大きな結果を生み出すことはありますし、逆にプライドが邪魔をして、思わぬ障害となることもあります。
どちらが正しいとは、一概には言えないと思います。
しかし、高いプライドを持って仕事している人が一定数いるのは間違いないことです。
今回ご紹介するのは、そんなベテラン社員の「プライド」に悩まされたNさん(40代女性)の体験談です。
【プロフィール】中学生でパソコンを購入。先見の明があったNさん
私は関西在住、アラフォーの女性です。
1995年11月、私が中学生のときに、Windows95が発売されました。
発売されたのは深夜0時。夜中にたくさんの人が行列を作り、お祭り騒ぎでした。
その様子をニュースで観た私は、「これからはパソコンの時代が来る!」とお年玉をはたいてパソコンを購入。
そのパソコンOSはWindows95ではなく、Windows3.1という1つ前のバージョンでした。
マニュアルを見ながら自分で何とかWindows95にアップグレードしました。
簡単なプログラムしか作れませんでしたが、たまに触って遊んでいました。
氷河期世代ですが、それなりにパソコンを使えたおかげで、とある中小ソフトメーカーのユーザーサポートの仕事を見つけられました。
【入社した会社】大手企業の子会社に入社
2000年代半ば、私は資本金が数百億円ある大手企業の「子会社」に転職しました。
その会社は社員数が数十名で、親会社から出向した社員と、子会社の社員が半々くらいの比率で在籍していました。親会社の出向社員は、50代が中心でした。
【入社後の生活】好景気の中、派遣社員から正社員へ昇格
転職先での主な業務は、「ヘルプデスク」というものでした。
ヘルプデスクは、ユーザーサポートと異なり、社員が業務で使うパソコンをサポートする仕事です。
ちょうど自分が中学時代にやったような「Windows OSを新しいものにアップグレードする」というような仕事をしていました。
前職で担っていたユーザーサポートの仕事は、それなりにやりがいがありました。
ただ、客先への出張や残業がたくさんありました。
当時は、まだまだ残業が当たり前という風潮が残っていたのです。
ちょうど結婚が決まったので、派遣社員として、家庭優先の働き方をしようと思ったのです。
ヘルプデスクは、やりとりが社内に限定されています。
もちろん新しいソフトを導入するときなどは社外の人とのやりとりもありますが、とても限定的です。
人見知りの自分には、とても働きやすい職場でした。
派遣社員からのスタートでしたが、前職で身に付けたサーバやネットワークに関する知識を評価してもらえたことで、とんとん拍子に正社員になりました。
リーマンショックの前で、景気が良かったというのもあるかもしれません。
【会社に行きたくない!】誰もが逃げ出した「とある引き継ぎ業務」を任されたNさん
10年以上前に、「2007年問題」というものがありました。
いわゆる「団塊の世代」が、一斉に定年を迎え、大量に退職するという問題です。
私の業務も、定年退職者のアカウントをシステムから抹消したり、パソコンからデータを消去したり、引き継ぎで異動してきた人のパソコンを準備したりするといった、定年退職絡みのものが増えました。
私の職場には、萩原さん(仮)という事務職の女性がいました。
彼女も、同時期に定年を迎えることになりました。
萩原さんが定年する約半年前、私は上司から、萩原さんの業務引き継ぎを依頼されました。
萩原さんは、独学でExcelマクロを作り、それで仕事をしていました。
Excelマクロというのは、Excelの処理を自動化するプログラムのことです。
頑張って習得すれば、ボタンひとつでポンとグラフが完成、といったものを作成できます。
萩原さんが作成したものは、簡単に言うと「毎日、早朝に自動実行されて、売上報告を記録し、月末に報告書を作成する」というものです。
ただ、萩原さんは、そのマクロの仕様書も、マニュアルも、一切作っていませんでした。
いわゆる「ブラックボックス」だったのです。
私はExcelマクロが得意だったので、軽い気持ちで受けました。
そして、すぐにそれを後悔しました。
というのも、彼女は私にまったく業務の説明をしてくれなかったのです。
「別に私に聞かなくても、Excelの中身を見ればわかるでしょ。ファイルをコピーして勝手にやってくれる?」
と、取りつく島もありませんでした。
しかも、そのExcelマクロはまだまだ改良が続いていて、気付かない間に新しい機能が増えていることがしばしばありました。
新しい機能を追加するときは、私に一声かけてほしいとお願いしましたが、
「なぜ、いちいちあんたに教えないといけないの?」
と、一蹴されてしまいました。
とにかく、ウナギの秘伝のたれのように、昔のものの継ぎ足しで機能が増えていくシステムなのです。そして更新履歴はありません。
私はこっそり、そのExcelマクロを「サグラダ・ファミリア」と呼んでいました。
もちろん、萩原さんの言う通り、ファイルの中身を見れば、どのように動いているのかというロジックはわかります。
ただ「HOW」はわかりますが、なぜこのデータが必要なのか、なぜこの処理が必要なのかといった「WHY」の部分はわかりません。
そしてこの「WHY」こそが、システム開発においてはとても重要なのです。
なぜ、彼女は私に自分の仕事説明してくれなかったでしょうか?
その理由は、「親会社の社員である自分の業務を、子会社の派遣上がりの社員に引き継がせるのはプライドが許さなかった」からでした。そう、他の出向社員に愚痴っていたと人づてに聞かされたのです。
どうも、自分が定年までやってきた仕事が、軽んじられていると思ったようです。
子会社の社員に引き継ぐのは、「大会社の正社員」という自分のプライドが許さなかったのです。
ただ、会社側も、最初から私に仕事を引き継がせようとしていたわけではありません。「親会社の正社員の女性」を何人か異動させ、萩原さんの公認にあてていました。
しかし、みんなその萩原さんにしかわからない「サグラダ・ファミリア」を見て、他部署への異動願いを出し、逃げ出してしまったのです。
3人目の女性が異動したタイミングで、私に声がかかったというわけです。
自分と同じ大会社の正社員に業務引き継ぎをしてほしかったのであれば、最初から、システムを外注するなりマニュアルを整備するなりして、誰でも引き継ぎやすくしておけばよかったのです。
いわば自業自得でしょう。
私はすっかり会社に行きたくなくなってしまいました。
また萩原さんに、「なんで派遣社員あがりの子会社社員のくせに」と、蔑むような目で見られるのかと思うと、気が滅入りました。
そもそも私が就職活動をしていた年は、ITバブルが弾けたという時代背景もあり、その会社の一般職の新卒採用がありませんでした。
もちろん、採用があったところで、私を採ってもらえた可能性はほぼありません。
しかし、0%(採用なし)ではないでしょう。
戦後の高度経済成長期に、「金の卵」としてもてはやされた世代の萩原さんに、そこまで馬鹿にされる筋合いはないのではと、やり切れませんでした。
また、小さな子会社の社員である私には、逃げ出した親会社の女性社員たちのように「嫌だから別の部署に異動願いを出す」という選択肢がありません。
親会社の女性社員たちが心底うらやましく、ますます会社に行きたくなくなってしまうのです。
自分でも気付かないうちに、ため息をつくことが増え、晩酌の量も増えました。
また、食べる量も増え、少し太ってしまい、制服のスカートを買い換える羽目になりました。
【その後の選択】上司に相談し解決の道へ
私は上司に、業務を引き継がせてもらえない現状を相談しました。
そして上司の裁量でもう一人、人員を増やしてもらい、二人体制で萩原さんの引き継ぎにあたることになりました。
Excelマクロの解析を私が担当し、業務内容のヒアリング役には、別の若い男性社員があたることになったのです。
彼も子会社の社員ですが、萩原さんは、その男性のヒアリングに素直に応じ、業務内容を説明してくれました。
「若い男性なら良いのか、なんて勝手なのだろう」
と、腑に落ちない部分はありますが、なんとか引き継ぎが完了しました。
【最後に】「会社に行きたくない!」と思っていた頃の自分に一言アドバイス
萩原さんが退職する少し前、私のいるところでポツリとこぼしました。
「自分の業務を誰かに渡し、システム化されることで、自分が積み重ねてきたものが消えてしまうみたいで怖かった」
その時、私は、萩原さんの気持ちに寄り添えていなかったと反省しました。
当時、私は30手前。まだまだ働く時間はたっぷり残っています。
40年近くバリバリと働いてきた彼女の虚しさ、不安、そして寂しさへの共感が、足りていませんでした。
いきなり業務の引き継ぎから入るのではなく、まず彼女の話を聞くことから始めればよかったのかもしれません。
当時の自分を振り返って、やってよかったことは、上司へのヘルプを早めに出したことと、他の人の手を早めに借りたことです。
もし、自分で抱え込んでしまったら、システムの引き継ぎができないままタイムリミット(萩原さんの定年)を迎えてしまい、業務自体が滞ってしまったかもしれません。
多くの人に迷惑をかけてしまうところでした。
そこは自分を褒めてあげたいと思います。
当時の自分に何かアドバイスをするのであれば、
「一緒に仕事をする人たちに対し、もう少し対話をするべき」
ということです。
私は、60歳近いにもかかわらず、ずっとExcelマクロでプログラムを作り続けていた萩原さんのことを、純粋にすごいなと思っていました。
そう思っていたのですが、それをきちんと言葉に出して、彼女に伝えていませんでした。
最初は「たかが子会社の社員」という態度を取られたとしても、彼女の仕事に敬意を持っていることをきちんと伝えていれば、もっとスムーズの業務の引き継ぎができたのかなと思っています。
あれから約10年、私は今も同じ仕事を続けていますが、ただ闇雲にシステム化を進めるのではなく、より一層、仕事をする相手との対話を心がけています。
今は新型コロナウイルスの影響でテレワークが加速し、同じ会社の人たちと対話をする時間がますます減ってきてきます。
だからこそ、画面越しでも、仕事仲間との対話をしっかりしなければと考えています。
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