「会社行きたくない。仕事辞めたい…」
と思うのは、社会人生活の中で一度は経験する感情ではないでしょうか?
仕事がうまくいかなかったり、人間関係で悩んだり理由は様々です。
でも、ある程度の規模の会社になると、明るく元気でバリバリ仕事をこなす人が社内に一人はいます。
営業成績は優秀で、宴会の席では盛り上げ役になるような人気者。
「この人は仕事が楽しそうでいいな・・・」
「辞めたいと思うことなんてあるのかな?」
そんな風に、あなたも考えたことはありませんか?
今回ご紹介するのは、そんなタフでバイタリティーに溢れたHさん(20代後半女性)の体験談です。
【プロフィール】田舎で育ち、活発な女の子だったHさん
私は、地方出身で大学もド田舎。小さい時から泥まみれになって外を駆け回るのが好きな女の子でした。
そんなこともあり、小学校のかけっこ教室から大学卒業までずっと体育会の運動部に所属しており、誰にも負けない忍耐力と根性を身につけました。
大会や部内で日々切磋琢磨して育った私の負けず嫌いな性格は、今でも私の軸になっています。
昔から飽き性な性格だったこともあり、いろいろな国に行くのが好き、さまざまなタイプの男の子と付き合うのが好き、毎回違ったアルバイトをするのが好き…。
言い換えると、
どんなことにもチャレンジしたがりな性格でもありました。
広告代理店という業界を就職先に選んだのもそんな飽き性でチャレンジ精神旺盛な性格からだったからです。
入社して数年たっても、広告業界は間違いなく私に合っている業界だと感じています。
【入社した会社】総合広告代理店に入社
私の勤める会社は、200~300人規模の中小の総合広告代理店です。
どちらかというと古い体質の「THE 体育会系」の会社で、全体的に年齢層は高めです。
私が就職活動をした時代は、我々がゆとり世代であり社会も売り手市場である、誰しもが困ることなく就職先を決めることができる時代でした。
ですので、何となくゆる~く入った若手はバンバンと辞めていき、3年以内の若手社員が定着しない状況でした。
冒頭で述べたように、相当の飽き性でチャレンジ精神が旺盛だった私は、いろいろな業種のクライアントの、多種多様な案件に関われる広告代理店が自分に合っていると思い入社をしました。
「元気な若手社員」としてレッテルを張られた私の評価は高く、営業局に配属をされて勢いのまま突き進み、新卒1年目で社内表彰に選ばれたこともありました。
そんなこともあり、めったに配属されない大阪支店の配属が決まったのです。その頃の私は、それが地獄の始まりとは気づきもしなかったのです…。
【入社後の生活】がむしゃらに働き、週末には飲み歩く日々
入社後に比較的すぐに大阪支社に配属された私は、良い面でも悪い面でも社会人生活に順応するのに精一杯の毎日でした。
なぜなら、支社ということもあり会社にいるメンバーはベテランばかり。
年の近い先輩や同期が誰一人としていない状況でした。
もちろん、教育制度などが確立しているわけではなく毎日朝から晩まで電話番、雑用、時に飲み会の盛り上げ役…。
「これが社会人か。1年目だし仕方ない」と思う反面、
「私は何のためにこの会社に入ったのだろう」
と思う葛藤もありました。
本社でバリバリ働いている同期の状況を聞き焦燥感にかられることもありました。
営業という職種に関しては、ポジティブな面もあり、小さい組織で縛りのない環境だったので何でも自由にチャレンジをすることができました。
気になる企業に飛び込み営業をしてみたり、面白いと思った企画を持ち込んだり、誰かに与えられる仕事だけをこなす必要がなかった点は今思うと大変貴重な体験だったと思います。
数年たった今でも、あの頃の経験がとても自分の役に立っています。
一方、プライベートの私の生活はまさに華やかでした。
田舎での暮らししか知らなかった私は、都会の生活が楽しくて仕方がありませんでした。
夜通し飲み歩くことや、クラブやバーで週末を楽しむことで、日々の仕事のストレスを発散できていたと思います。
おかげで全く知り合いのいなかった地でも、友人や恋人もでき、会社ではできない社会勉強もできました。
平日はがむしゃらに働き、週末は大学生の様に遊び惚ける。
そんな学生のころとは違った生活を送ることで、自分のコンディションのバランスをとっていたように感じます。
【会社に行きたくない!】ノルマに追われ限界が……
そんな生活を続けていましたが、がむしゃらに突き進んでいるだけではうまくいかないこともありました。
その最大のきっかけとなったことは、営業職として新規の数字を求められることが増えたことです。
先に述べたように、私の会社は体育会系だったので、新人がコマとなり新規案件を取りに行かされることが多くありました。
教育もなく、追いかける背中もなく、ただただ自分のオリジナルのやり方で新人の私が「0を1にする」案件を獲得するには限界がありました。
自由に動くことができることには前向きで、疲弊するほど残業があるなど物理的に後ろ向きな要因はありませんでしたが、気持ち的なストレスは日々感じていました。
どうしたらいいのか分からない気持ちと、自分一人では全然結果につなげられないもどかしさで、お酒を飲む量はかなり増えました。
ストレス発散にカラオケで歌い、浴びるほど飲み、記憶をなくして朝を迎える。
当時の生活は、非常に悪循環だったと思います。
当時は深夜の作業や、休日出勤なども多くありましたが、もともとタフな私は肉体的にはストレスを感じませんでした。
しかし、持ち前の忍耐力と培ってきた根性だけでは乗り越えられないこともあるのだと、精神的なストレスを初めて強く感じました。
【その後の選択】諦めずステップアップすることを選んだHさん
会社に行きたくない、と思いながらもボロボロになりながら目標を掲げ、何とか自分を奮い立たせて頑張り続けて3年間。
「3年間頑張ったら次のステップを目指そう」
と、決めていた私は、支社内では空前絶後の東京本社異動願いを出しました。
確かに、大阪支社でゆるゆると自由にオリジナルでやっていくことは慣れると楽な選択だと思いました。
しかし、きちんと上司や先輩・後輩もいて、さらに広い市場で厳しい環境に身を置きたいと思いました。
支社からは反対され、最終的に役員も説得に現れるなど厳しい戦いになりました。
正直、このまま反対され続ければ退職しようと考え準備もしていました。
そんな時に、たまたま東京本社の人手不足のタイミングが重なり、念願の東京本社勤務が実現したのです。
今は東京本社で勤務をしており、東京本社には東京本社での大変さはありますが生き生きと働けています。
思い切って決断をし、諦めずに主張してよかったと思います。
終わったことだからこそ思うことなのかもしれませんが、大阪でがむしゃらに働いた3年間は私の中で決して無駄ではなかったと思います。
【最後に】「会社に行きたくない!」と思っていた頃の自分に一言アドバイス
あの頃は、気持ち的にも毎日疲弊していて「会社に行きたくないな…」と日曜日の夕方ごろから落ち込むことも多かったです。
しかし、あの時にめげずに頑張ったからこそ今があると思っています。
「嫌だな…」
「今の状況がつらいな」
と思っても、それを乗り越えた先にある学びや気づきが今後の自分の糧になることを、これからも忘れずに働き続けたいです。
「何も得ることのない期間」なんて人生には存在せず、ひとつひとつの物事に価値や意味を持たせることで得られるものは必ずあります。
そんなことを、当時の自分に教えてもらった気がします。
当時の自分にもし会えるならば「ありがとう」と言いたいです。
しんどい時は自分を労わって休んでもいいんだから!とも、アドバイスをしてあげたいです。
私は自分がオンとオフを切り替えるのが得意な人間なんだな、ということにも、社会人になり気づくことができました。
もし今後、似たように会社を辞めたいと思っても、うまくリフレッシュをしながらプライベートとのバランスを取りながら、頑張っていきたいです。
コメント