あなたは「愛社精神」を持って仕事をしていますか?
企業にとって、愛社精神を持ってもらうことにはたくさんのメリットがあります。
高いモチベーションの維持や、会社に対する不平不満の減少、離職率の低下など、枚挙にいとまがないです。
しかし、近年、愛社精神を持って仕事してくれる社員は減少傾向にあります。
内閣府発表の「子供・若者白書」での就労等に関する若者の意識を見てもわかるように、プライベートや収入面を重視し、転職に前向きな考えが一般的となっていることがわかります。
社員に対して、愛社精神を強要することは正しいこととは言えませんが、愛社精神を持って仕事をしてくれる社員は、企業にとって有難い存在であることは間違いありません。
今回、ご紹介するYさん(30代半ば女性)も、強い愛社精神を持って仕事をしてくれる貴重な人材でした。
会社を愛し、責任感も強く、残業も喜んで取り組む素晴らしい社員です。
しかし、そんな彼女も「とあることが原因」で会社に行きたくなくなってしまいます……。
【プロフィール】八方美人な子供だったYさん
私は小学校時代から活発な女子で、リーダーをすることが多かったです。
三姉妹の長女ということもあり、責任感も強いほうで、様々な事を自分から積極的に取り組むタイプでした。
中学校、高校でも部活のキャプテンをしたり、運動会の団長をしたりと、どちらかといえば学校生活は大好きでエンジョイできていたように思います。
でも、そんな私ですが、実は表と裏というか、みんなの思っているだろう、私像とは違う人間だと思っていました。
俗にいう八方美人です。
みんなは明るくて面白くて積極的で人気者で姉後肌で・・。と思っていたでしょう。
実際に彼ができても振られたとき
「思っていた人と違った」と言われたことが2回ほどありました(笑)
本当は人の目をすごく気にしてて、すごく人に甘えたくて、愛されたくて、けっこう依存度の高いタイプなのです。
それを痛感する出来事がありました。まわりからしたら全然たいしたことのないことでしょうが当時の私はショックで涙しました。
高校の時遠足のあと、みんなバラけてカラオケやカフェにいくなどするのが通常。
その時もみんなそうなりました。
でも私はどこにも誘われず、ひとりで帰ったのです。
そんなこと経験が無かったのですごく寂しくてすごくショックを受けました。
いじめや嫌われているわけではないことはわかっていました。
でもすごく悲しかったんです。
次の日みんなに、どこに参加してたの?とたくさん聞かれました。
みんな私が違うグループに参加しているだろうと思って誘わなかっただけなのです。
わかっていましたし、それを聞いて安心もしました。
また強がって「用事があったからどこにも行けなくてさ!」と笑って。
この時、自分の八方美人さと本当の友人がいないのではないかと思ったことと、
本当の自分とは・・というのをすごく考えさせられた出来事でした。
【入社した会社】フリーター経験を経てウェディング会社へ入社
私は大学を卒業し、まずフリーターを3年していました。
定職に興味を持てず、ショップの店員やカフェの店員など接客業中心にアルバイトで生計を立てていました。
そのアルバイトの中で接客業をしてお客さんからありがとうを言われることが、ものすごく自分のやりがいになっていました。
誰かの役に立っていないと自分の存在意義を感じられない。
もっと密接に濃く人と関われる、役に立てる仕事がしたい!
そう思って選んだ次の仕事がウエディングの会社でした。
これが私の大きな転機となりました。
ウエディングを選んだ時も特に定職にこだわりはなく、仕事内容で選んだものでした。
私が入社したころは、まだ規模の小さい3店舗経営のウエディングの会社。
時代としてはまだまだ結婚式がさかんで、ゼクシィという紙面が売れまくっている時代(笑)
私がいた15年の間に飛躍的に成長し、上場会社となっています。
200人ほどの会社が2000人ほどの会社になりました。
その間を経験してこられたのは財産だと思っています。
素晴らしい社長の元ではたらくことができていました。
理念と人を大切にする会社でした。
私の性格上、とても合っていたように思います。
入社したのはなんとなくの憧れで入りました。
・・が、会社と仕事内容にすぐにのめり込みました!
愛社精神と持前の奉仕精神により、仕事のスキルなどは弱くても人間性としての評価は頂いていたように思います
日々、人としての成長を促される会社であり、仕事をしているというよりは、人間の器形成の修行をしているような((笑))
いまでもこの会社に大きな感謝をしていますし、大好きな会社です。
【入社後の生活】多忙を極める生活の中、仕事にのめり込んでいく
フリーターをしていての初めての就職。朝礼や昼礼、就業規則、パソコン業務など初めての経験ばかりで緊張の連続。
そして、上司は本社からきていて、土地が全然違うので気質も違う。
プライベートでも仕事のメンバーとの交流、初めはすごくそれが嫌でしたし、参加しないようにしていました。
朝礼も唱和などがあり、なんだか宗教めいたことを感じたり(笑)
でも日がたつにつれ、仕事に必要なチームワークを高めるためにプライベートの交流があることだとか、朝礼などは大切にしたいことの確認、仲間の気持ちの共有など意識を統一するうえで大切なものだと気づき始めました。
でもまさにそれが洗脳というか、会社にのめり込んだ入口でした。
そのころはまだ残業うんぬんやブラック企業などの言葉がなかったころ。
会社も仕事内容も仲間も大好きになっていたため、朝の7時には会社に行って、夜の11時頃に帰宅。
これは仕事が忙しかったからではなく、自主的にしたかったからです。
そうやって仕事をしていく中で、あるときお客様からクレームを頂きました。
約束のタイミングで約束の曲を流すことができなかった。
お客様にとっては一生に一度の結婚式で、曲への思い入れも大きいのです。
結婚式後日に上司と同行で謝罪に訪問しました。
新婦様は泣いており、でももう取り戻せない時間だしやりなおしもできない。
と悲しんでおられました。
その日はお話を伺い一旦帰りました。
その時の車内で私も新婦様の気持ちになり泣いてしまいました。すると上司に、
「泣きたいのはおまえじゃない」と言われ、ハッとしました。
そしてそのクレーム対応の日は休日。上司は休日返上で同行してくれているのです。
後日もういちど謝罪に訪問すると、新郎新婦のおふたりが
「もう戻ってこない時間ではある。でも、結婚式の打合せで楽しく過ごせたのも、結婚式 がその一点以外最高だったことも、〇〇(私)ちゃんのおかげ。このクレームもいうかどうか悩んだ。〇〇ちゃんが落ち込むだろうから。でもこれからずっとこの仕事をしてく中で、僕たちに言われるのと、もっと怖いお客さんに言われるのなら僕たちのほうがいいし、何も知らないで違う人の時にミスをするほうがかわいそうだから言った」と。
私は本当に涙が出て、このお二人との出会いから、この時の上司の関わり方でプランナーとしての意識がおおきく気持ちが変わったように覚えています。
この出来事は一生わすれないだろうと思います。
その後、真摯にただただ一生懸命仕事をしていく中で、プランナーのまとめ役、抜擢転勤、管理職とスピード出世でした。
私自身はまったくその評価に気持ちが追いついていないし、過大評価だと思っていました。
でもそんなことも考える暇なく、目の前の仕事、仲間のことを考える毎日でした。
人としての成長意欲はあったものの、昇進にはあまり興味がなかったので(笑)
【会社に行きたくない!】震災後のクレーム対応で心身ともに限界へ
そんななか、上司に連れられて行ったクレーム処理を私が上司の立場でいくようになりました。
きちんとお話を聞いて誠実に対応しようと常に心掛けていました。
あるとき、未曾有の災害が起こりました。
東日本大震災です。もちろん私自身も被災者のひとりです。
震災から2カ月ほどして少し落ち着いてきたころから、現在予約の入っているお客様からいままでにない部類のクレームを多々受けることになります。
震災で大きな被害が出てお金がないのに、キャンセル料をとるのか?
震災で家が半壊なのに、結婚式の費用を下げることは考えないのか?
うちは落ち着いているのに、会社の都合で結婚式を今させてくれないのか?
など。
結婚式の失敗のクレームの処理は要領を得ていたのですが、災害後のクレームは、災害でこんな大変なのに!とか災害なのに何もできないのか?
など、本当に言われて辛いものでした。
何が一番辛いかといえば、私自身も被災をしているので、気持ちがわかってしまうため、とてもつらい対応になりました。
でも会社としてきちんと震災対応はしてきました。
震災から1.2カ月は当社も結婚式をできる状態ではなかったので、キャンセル料はとらない、当社ができる状態であるのにキャンセルされる場合は料金をいただくなど。
私としては会社の方針にも納得いっていました。
ですので、被災者としての気持ちと、会社の方針とどちらも理解ができる状態だったので、苦しかったのです。
まともに受け止めてしまって災害が起きたことが私の責任のような気さえしていました。
そこから私は会社に足が向かなくなりました。
その時には責任者なので、会社には必ずいくし、みんなには悟られないようにしていましたが、体重は5キロ落ち、食べれない、寝れない、生理も止まりました。
気持ちの上でも私がここにいてはいけないのでは?私が不幸にしてしまうのでは?
と自分を責める毎日でした。
【その後の選択】職場の配慮で休職をすることを選択し、その後復職へ
その時に私はもうどうしようもない状態でした。自分でも責任感から毎日会社にとりあえず行くという日々。
自分ではな何もできなかったのですが、まわりのスタッフが私の異変に気づき、本部の上司に伝えたようです。
そこからすぐ飛んできてくれ、
「自分の代わりはこの世にはいないんだぞ」と言われ、休職を促されました。
私も病んでいたので、それに応じ、2カ月の休職をさせてもらいました。
その休職の間に、体を休めたのと、会社のメンバーからの多大な励ましと、いろんな配慮により、2か月後同じ場所で同じポジションで復職しました。
貴重な経験として私もこの時のことは忘れないです。
今現在は、三歳の息子のお母さんで、家業の事務をしています。
この出来事には関係なく、妊娠出産があったので、必然的な転職でした。
今、ウエディングの仕事に未練はないですが、会社は本当に今でも心から大好きです。
子育てにも、生きていく今の基準にも、会社で学んだ考え方が本当に軸となっています。
【最後に】「会社に行きたくない!」と思っていた頃の自分に一言アドバイス
当時の私に声をかけるなら、本当によくがんばったね!
でも、人を守りたい、人を大切にしたい、仲間のことが大事であれば、まずは自分を大切にしなければいけないよ!
そうでなきゃ、人を周りを守れないよ!
頑張りすぎているのを周りがみていると周りもそうしなきゃと
プレッシャーになったり第二のあなたができあがってしまうよ。
だからまず自分の心身を大事にして、もっと仲間を信用して、頼っていいんだよと
言ってあげたいです。
それと、逃げるのも時にはありだよ!と。
逃げる選択はしにくいだろうけど、壊れる前に上手に逃げ道をつくろう!
と言ってあげたいですね。
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